結婚式の花をつくる、という仕事を自分の名前で始めてから、
知人友人の結婚式の花を頼まれて作らせてもらっても、
出ることはまずかなわなくて、
いつもブーケを届けるだけで精一杯でした。
その週末もいつもの週末と同じように
仕事にのめりこんで終わる、
どんなに大切に思う友人でも、そういうほうが多かったです。

一会でアシスタントをつとめていてくれた彼女の
結婚式に、ゲストとして参加できたのは
だから、僥倖みたいでした。
その日だけ、何も入っていなかった。
きっと、一会狂の神様が、
信者にお繰り合わせをしてくださったのではと思われます。
いつも、なんども書いていますが
「結婚式」は、お二人が生きてきた「好き」の集約です。
選ぶナフキンひとつ、流す音楽ひとつ、
その日使われるすべてがお二人の価値観が形をとったもの。
無論、予算の制約もある。日数の制限もある。
ご親族の意向や、仕事の関係や、
そういういろんな条件に照らし合わせて
取捨選択されてきたものだけが
集められ構成される、わずか半日。
たぶん他のことも、またそうであるように、
目に映るものすべては、その人自身の写し鏡である。
まるでプラネタリウムのドーム天井のように、
そこに映し出される景色はいつも
その人自身の投影であると思います。

だから、この仕事をしていて
幾人かの新婦様が真剣に悩んで相談されること、
「結婚式でみんなが楽しんでもらえるだろうか、
これで大丈夫だろうか」、
そう、真剣にゲストのことを考える方の結婚式は、
きっと、お二人のことが心から大好きで嬉しくて、
真剣に楽しんでくれる人たちばかりです。
・・・なんてことは、きれいごとで、
ほんとは、現実は
そうでないかもしれません。
しかし、
そうであるかもしれません。
どちらを、信じてもいいのです。
だから結局は、どちらを信じたいか、それだけです。
なぜかというとですね、この水平線も地平線も
それは自分自身の写し鏡であって
以下15行上に戻る&繰り返し。
ひとつ、どうしても言いたいことがある。
君が自由だと思ったら、もう君は自由なんだ、
リチャード、どうしてこんな簡単なことが解らないんだ?
リチャード・バック「イリュージョン」
(・・・すみません、かなりうろ覚えです)
どの写真を見ても胸いっぱいに、誇らしげで
幸せそうなご新郎様の笑顔。
花は、少しそれに似ています。
ずっととっておけないけど
いつまでも記憶に、残ることができます。
では皆様今日も本当に、お疲れ様でした。





