少年ジャンプの名作「ヒカルの碁」で
「この盤上は自分が神様で、自分が作る世界」なんだという
シーンがあるのですけれど
花も、ときどきそんな感じです。
と、冒頭になんでもないリングピローの写真を
かかげておいて、そいで語りだすときは
たいてい修羅場モードで、
なんか最近ブログで書き足りないなーと思ってる時で、
若干そう飲んでますとも。
しかし、
目の前の碁盤、目の前の空間、
目の前にあるただ今日という一日、
その何もない一枚の白紙に向かって
どの絵具をとってどんな線を描くかは
自分で決めていいし、
そうして出来てくる世界は
たったひとつ、その日その時だけの
小さな世界。
だいたい花なんて
ナマモノですからね。
一回限り、その場限りのもので、
そうしてそれで充分だ、ことたりる、
そう、いつも思います。
誰かが自分にそう描けと指示したわけではない、
どの選択もすべて自分が選んだ道で、
そしてどの選択も、自分の必要な道です。
と、自分がこの先選ぶ全てのことを、
この先すべてで肯定していかなければ。
何を選んでも、何をしても、何を選択しても、
それはまったくの自分の自由です。
深呼吸をして自分が一番なにをしたいかを考えてみて、
選び取ることがいつでもどこでもできる。
「こんにちは」という言葉ではじまり
「金木犀のいい香りがしますね」と
続く、あるいは締められる、
メールそのほかのお便りをいただきます。
これもひとつの共鳴、
この2011年の秋に
まったく違う場所で
誰かに何かを強制されるわけでもなく、
ああ秋になったんだな、と互いに勝手に思うこと。
ただそれだけのことです。
でも嬉しいですけれど。
木犀(もくせい)にとほき潮(うしお)のみちにけり
石橋秀野
ゆく秋やふくみて水のやはらかき
同上
では皆様今日もお疲れ様でした。

