明るいオレンジのドレスに明るいオレンジのバッグブーケ。
そのままかもしれませんが、でもまさに
フルーツのオレンジの色のオレンジ、
という印象の新婦様でした。
カラーは「モーツアルト」、バラの「ルナロッサ」はじめ
春のラナンキュラスなどをとりまぜて、
明るい印象で作りました。
チューリップフェスタの件、
「で、デモは結局いつなんですか?」という
お問い合わせがぽつぽつあり、一応、ご案内を・・・
http://nespace.info/event/nextevent2006_2_1.html
あんまり人が多いと緊張するし、
しかし他のデザイナーさんの時にくらべて
一会の時だけガラガラだと呼んでくださった主催の方に申し訳ないし、
とかなんとかぐずぐずしてたら、
「いやでもあの、チラシ、お客さんに郵送しないと。
別にデモじゃなくても、来れる人も来れない人もいるでしょうし。」という
アシスタントさんのまっとうな意見。
ボスがヘタレだと部下がしっかりするとはこういうことかと。
しかし最近このブログなどを見てくださる方で
「花を見て楽しんでいます、
ご本人もきっとステキな方なんでしょうね」などと
コメントをいただいたりしますが、
それは、全く、ないので、
ああそうなるほどないのだなと理解してくださると有難いです。
直接知っている方はよく知っていますが本人はめちゃ地味です・・・。
なんだか期待にそえず申し訳ないのですが・・・。
上のような誤解は、
たぶんに私の文章がやや情緒的なせいなのもあるのかも、
と、思いつつ、最近自分の頭の中で離れない17文字、
蟇歩く 到りつく辺の ある如く
汀女
この句は一種ユーモラスなものというのが定説のようです。
(ちなみに、私自身はやや古典好きという程度で、
時々こうして句や和歌を掲載したりしますが
あくまで自分個人の感想です。
流し読みくらいにとどめてくださるほうがよいかと思います。)
蟇蛙(ひきがえる)がのっそり歩く、という光景。
それは哀れでどこかおかしみのある光景なのですが、
でも自分には、
大きい図体をひきずるようにゆっくりと動く蟇蛙の、
でも一時も立ち止まることもできない様子に見えます。
そのひとつの巨大な身体を動かすために、
毎日何か食べさせなくてはならない、
せっぱつまったような情景がいつも頭を離れません。
そしてその先に、果たしてたどりつく辺は
あるのかというと、たぶんないのでしょう。
仮にこの先、どれほど望んだだけの幸運が自分に降り注いで
どれほどの境遇を得たとしても、
これで完璧、と思えることは絶対にないような気がします。
たどりつく辺は、実は、どうしても無くて、
けれどそれをあるかのように歩いている自分が、
この蟇蛙と同じ気がします。
いかでわれ此の世の外の思ひ出に風をいとはで花をながめむ
西行

