先日募集しました単発プリザーブドレッスンは
定員に達しましたので
受付を終了させていただきました。
ただし、一会スクールの生徒さんで振替を希望なさる方は
特別枠をあけますので(えらそう)ご相談ください。
今日聞いたある人の言葉、
「思い出は、今、思い出した瞬間に
思い出ではなく今の現実になる」
・・・なるほど、と、感心してしまいました。
当たり前ですが、身の回りにおきる
すべての事象を覚えているわけではなく、
記憶として残るもののうち
また更に流水にさらされるように、
砂の中から拾い出す砂金のように、
想い出という形で残っていく。
でもなお呼びかえすのは、今、必要だから。
ということなのでしょうか。
お天気の日の、海の沖は
なんと、あんなに綺麗なんだ!
お天気の日の、海の沖は
まるで、金や、銀ではないか
金や銀の沖の波に、
ひかれひかれて、岬(みさき)の端に
やつて来たれど金や銀は
なほもとほのき、沖で光つた。
(後略 中原中也「思ひ出」)
写真は出雲、日御碕。
並木のこずえが深く息を吸つて、
空は高く高く、それを見てゐた。
日の照る砂地に落ちてゐた硝子を
歩みきた旅人は周章(あわ)てて見付けた。
山の端は、澄んで澄んで、
金魚や娘の口の中を清くする。
飛んでくるあの飛行機には、昨日私が昆虫の涙を塗つておいた。
風はリボンを空に送り、
私は嘗て(かつて)陥落した海のことを
その浪のことを語らうと思ふ。
(後略)
中原中也 「逝く夏の歌」 山羊の歌 収
毎日、ほんとうに暑い日が続きます。
でももうじきに、秋になるのですね。

