桂川の岸伝いに行くといくらでも咲いていると云うコスモスも時々病室を照らした。コスモスはすべての中で最も単簡でかつ長く持った。余はその薄くて規則正しい花片と、空に浮んだように超然と取り合わぬ咲き具合とを見て、コスモスは干菓子に似ていると評した。なぜですかと聞いたものがあった。

 夏目漱石「思い出すことなど」  参照 青空文庫

以前、なにかの雑誌で誰か忘れてしまいましたが著名な方が、
「漱石の文章は日本語として、アガリのレベル」というようなコメントを
書いていて、
今日この短い文章を掲載するにあたり何度か読み返したのですが
「・・・まったくだ」と深々と思いました。
そういえば去年の秋も、同じことを思いました。

写真は茨城、五浦海岸近くに咲いていたコスモス。
風に揺れていて、撮っても撮ってもぼけてしまって、
何度もデジカメのオプティオを構えて撮り直した記憶があります。

いつかどこかで、誰かに、このコスモスを見せたい時が
あるかもしれない、と思って。
見てほしいという日がくるかもしれないと、なんとなく思って。

たぶん、今日がそうでした。

と、まとめたところで終わりたいのですが
実は、週末そろそろ修羅場モードに戻りつつあり、
以前の写真を載せてやりすごす魂胆です。
今日は体力温存してここで終了します、
メールとコメントは、また明日お返事しますのでちょっとだけ
お待ちください。