先日マンツーマンでレッスンをした生徒さん、
花のお仕事をされているけれど、
ブーケは作ったことがないと言います。

請われてこの夏、4日ほど一緒に特訓しました。
なぜ4日かというと、仕事でとれる夏休みが4日あって
そうしてその休みを自分にとって未知の分野の
ブーケの勉強につぎこみたいからだそうです。

という時点で、努力を尊びたい自分には
すでにくらくら。
そんなに言ってくださるなら、
今の私にできることを、全部しようじゃありませんか。

写真は、その方が生まれてはじめて作った、
ワイヤリングのキャスケードブーケ。
ダリアもオールドローズも、たぶん扱いは難しく、
はじめてにしては難しい設定でした。
夏なのをいいことに、5時間くらいレッスンをしていました。

…………………

別のある日のテーマはホルダーのキャスケード、

落雷の続く中、夜7時からはじめて12時近くまで粘りました。
私も、夏で余裕があったのですが、
でも彼女の真剣さに、応えたかったんです。

そして、その次のレッスン時に、来るなり、
「先生、講習料、倍とってもらえますか」と言います。

「このブーケ、さっき自分で作ったんですけど、
持ってきたんで、指導してください」
と言います。

その日早朝に、市場にいって、
まったく同じ花材を買いそろえて、
レッスンに来る前、前回習ったキャスケードブーケを
自分なりに作ってみたのだそうです。

「点数つけるとしたら、何点ですか?」
と言います。

・・・それは、120点ではないでしょうか?

その時彼女の持てるだけの代償を、
すべて支払っているのだから。

そして、私は、こういう「努力肌タイプ」にかなり弱いです。
深夜までレッスンしてしまうほど、
つい甘くなります。
自覚しております。
自分もたぶんそうなので。

倍の講習料は、思わず爆笑しながら
頂かず、「アフターサービス」ということで
アドバイスさせていただきました。

何かを、得たいと思うときに
その時、自分の持てるだけの代償を支払うこと。

私自身もいつもそう思います。

それは昔、小学校で習った算数や歴史に似ています。
算数の定式や歴史上の人物を忘れても
算数的なものの考え方、
歴史というものの学び方を
今、自分がいかせることに価値があるのではないでしょうか。

支払って得た成果そのものに、価値があるのではない。

自分なりに代償を支払った、という過程に、事実に、
価値があるのだと思います。
もっというと、その支払ったという事実に価値を
自分でつけていってはじめて、
価値になるのかもしれません。
そこではじめて役に立つ。

だから時間はかかるだけかかるもの、なんです。

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 「あともふりむかず仕事に没頭しなさい。(中略)
 本当に捨てたものは、また別の形で必ずかえって来る。」

                     志村ふくみ「一色一生」

お金とか時間とか、その人なりの代償を本当に捨てて
支払って、やっと得られるものがあります。

と、相変わらず演説していますが、
我ながら夏だなあ。もう9月ですけど。

今日もお疲れ様でした。