今の私に、一番、ストレス解消になるのは、
実は旅にでることでも温泉にいくことでも
親しい人と美味しいものを食べることでもなく、
たぶん、
仕事が一区切りしたあとに、
そこら辺に散乱するすべての花の
水換えをすることです。
ざっぱー!(汚い水を捨てて)
がしがしがし。(バケツを洗う)
・・・楽しいっすよ?
楽しいですよと言われても困られるかもしれませんが
いつかブログに書いてみようと
思っていたことのひとつです。
一会の場合、ウェディングを専門にしているので
毎週毎日の花はほぼ使い切りです。
計算して仕入れますが、でも
もちろん全部がぴったりというわけにはいかず、
多少は予備が残ります。
毎週末、金曜以降は、水を換える暇はない、
今、やるべきことは水かえではなく
納品のチェックを繰り返し
ブーケを手直しし、と言い聞かせて
そしてその金曜から日曜の間、
バケツの中の水が汚いのは
どこかでなんとなくわかっている。
実はそこにイライラしている。
けっこう、我慢している。
納品を終えて、一息ついて、
やっと、花の水を換えられる!
ざっぱー!
がしがしがし!
俺はやったぜ!
山ほど仕事したぜ!
今週もめいっぱい働いたぜ!!!
・・・と、いう、この楽しさといったら
そらもう。
マニアックですね。
ベテランのアシスタントさんには
変人扱いされますし、
「それよりたまっているメールに返事しろよ」
という現実逃避な場合も多々あります。
で、
途中でアシスタントさんに交代を
お願いするときも多いです。
でも毎日こんなふうに忙しがって仕事をしている、
あるいは仕事してるふりをしているのは
それは無論、新婦様の笑顔だったり感謝だったり
自分のできることが何かに役に立つというような
大義名分もありますが、それよりなお
ただバケツを洗う一瞬が楽しい、
という理由。
それが一番のリアルなのかも。
生きている花が枯れていきます。
コスモスというのはギリシア語で
「秩序のとれた宇宙」あるいは
「美しい飾り」という意味があるそうです。
花は、所詮「お飾り」で、
絵に描いた餅のような「きれいごと」です。
一方で、限りある時間を体現して
自分につきつける砂時計のようでもあります。
きれいごとでも、動かせない現実でも、
定義はもうどちらでもよく、
ただ自分がこれから先、
仮にどれほど腕が上達したとしても
水かえが完全に人任せになったら、
花を仕事にするのはやめよう、
そうも思います。
では皆様、今日もおつかれさまでした。


