式の前日というのに
新婦様はわざわざメールをくださって、
最近のこの一会ブログの記事の、
こういうところにこんなふうに思いました。と
書いてあります。
こんなふうに共鳴しました、
と感想をつづられるメールを
今もう一度読み直しながら、ここ数日
ぼんやり考えていたことをまた思います。
自分は美術がまったく分からないのに、
なんで美術館に行くのが好きなんだろう?
エルミタージュを見にロシアまで出かけるくせに
知識はかけらもない、
実は覚えようとさえ思っていない。
絵の脇にある小さな説明も
ろくに読まないことも多いのに、
なぜ、楽しいと思うんだろう?
それは、たぶん、自分が共鳴する感覚が
楽しいんだろうと思いました。
景色を見ているうちに、自分の意識が空気に解けだして
ほとんどその景色に染まることがあります。
花を見ているうちに、
意識が希薄になって臨界までが花で満ちるような
錯覚になるときがあります。
そういうのに似て、日頃のいろんな仕方のないこと、
このままでいいんだけどなあとか
これをこうしたらいいのになあとか
こうできたらいいのになあとか
よしなしごとを全部忘れて
カラっポになって、共鳴する
ただの道具のひとつになる時間、
ちょっと無心で絵を見ているのが、楽しいです。
(「ちょっと」無心、と、逃げをうち
「完全に無心」ではないあたりが、
我ながらインチキ。メッキですから)
では皆様、今日もお疲れ様でした。
コメントをくださったI様へ、
個人情報が入っていたので
勝手ながら一部を修正させていただきました。
ご感想、たいへんうれしいです。
来月もお会い出来ること、とても楽しみにしています、
どうぞよろしくお願い申し上げます。

