今日、一通のメールが届きました。
先週末、ご新郎様からのお礼のメールでした。
以前、お打合せの翌日に、
御自身のブログに一会のことをご紹介くださいました。
川崎の開業司法書士 コジのブログ
http://ameblo.jp/ks-kojima/day-20090407.html
こちらからもご紹介をと思ったのですけれど、
小心者の自分としては、やはり当日が無事終わるまで
どきどきすぎるので、
無事に当日が終わって喜んでもらえたら、
そうしたら御紹介させてください。
そうお願いしていたのでした。
そうして先日とうとうお二人の御披露宴が終わり、
そして、お花よかったです、という
とても丁寧なメールの最後に、
彼女が、さすがに今日は疲れが出たようなので
とりいそぎ僕のほうからお礼まで・・・
と、書き添えてありました。
けれども、実は今日の昼過ぎ、すでに
新婦様からもメールをいただいていました。
まだちゃんとした写真がないのですが、とりいそぎ、
友人の方がとってくださったという、数枚まで添えられて。
おふたりが共振しあうひとつの形を
まるではたから見させていただいているようで
それは、私まで幸福だったんです。
きっと、このブログを私が書いている今この時間、
「今日、一会さんにお礼のメール送っといたからね」
「えっ!私も昼に送ったよ!?」
そんな会話をして、びっくりして、御二人で
顔を見合せてほほえんでいらっしゃるのかも
しれません。
「幸福」という形はない、といつも思います。
幸せになろう、というような、
まるですごろくのアガリのような
どこかにたどりつくような、
天国みたいな場所があるのではない。
それはいつも瞬間風速のようなものだ、
というのが
自分の持論です。
365日24時間、ずっと幸せでい続けることはできないし、
だから同じようにずっと不幸でいる期間も続くわけでもない。
でも、「幸福の瞬間」を定義するのならきっとこういう
共鳴する一瞬は、間違いなく
そのひとつのように思います。
お互いに、お互いを思う御様子を
役得のように拝見して、
私にもそれが幸せでした。
一会として、
仕事をさせていただいたことを、
感謝しています。
では皆様今日もお疲れ様でした。
ありがとうございました。





