ごめんなさい今日は完全に雑談です。

今回パリに行きたかったとても大きな理由のひとつ、
それがこの絵をまた見ることでした。
ラトゥールという画家、
「大工の聖ヨセフ Joseph the Carpenter 」 (1645年 ルーヴル蔵)。

最初にこの絵を見たのは3年前ですが、それ以来ずっと鮮烈なまま。
仕事柄といえば仕事柄なのかもですが、印象派の色には強く惹かれます。
印象派ならまだしも、なぜこの絵をそんなにいいと思うのか、
われながらずーっと不思議だったのですけれど、
今回はじめてよくわかりました。

いつも時間のない自分は
結局、毎回、エールフランスを使ってしまいます。
直行便でなければもっと安くいけるのに、と思いながら、泣く泣く仕方なく。
今回はチューリップ展が終わった直後、いつもより更にぼろぼろで、
よろめきつつカウンターで「窓際の席を」と訴えたところ
「満席です」というつれない返事。
でも茹でた青菜のようにぐったりへろへろだったのを同情されたのか、
搭乗直前にビジネスクラスにアップグレードの恩恵を賜りました。
おかげで熟睡できて、着いた当日の夜、ちゃんと
Kさんと食事に出てお茶までできるほどに元気復活。
エールフランスさん本当にありがとうございました。
このご恩は忘れません。ほんとにありがたかったです。

次にいつ乗ることができるのかわからんビジネスクラス、
食事時にはちゃんとクロスまで用意されるのですね。すごい。
と、思いながら写真を撮っていたところ、
メインのあたりであっさり熟睡してしまい、デザートは見ずじまい。
ナイフとフォークを握り締めたまま寝なかったのが唯一の救いでしょうか。
そしたら漫画だよなぁ・・・。

で、そのときに、途中で窓がまぶしかったので
閉めようと手を伸ばしたら、その手が光に透けたのです。
そっか、なるほど、あの絵がいいなと思うのは
チューリップと同じなんだ、と、思いました。
きっと手が透けていて血が通っている、
その「生きている」印象に惹かれるんだな、と。

ラトゥールの絵はこのほかのもの、
静謐で深い感動を描きだしたと言われるいくつかの絵は
いずれも、その静かさに強くひかれます。
一方で、生存時には裁判も多く非常に嫌な人物だったという
記録もあるようで、そのどちらが本当だったのかは
無論自分にはわかりません。
まわりには非常に独善的、攻撃的であったという人物が、
こんなに静かで強い画を描くというのは
どういうことなのだろうかと、切実不思議に思います。

あくまで、一素人の私の感想にすぎないことを
お断りした上で、
もしその記録が本当だったとしたら、あるいは
この画家は、まわりのことなどどうでもよくて、
ただ内面にある何か、自分にしか見えない何かを
見つめていくことに必死で、
まわりに構ってなどいられなかったのかもしれない、
そう思ってみたりします。

しかし今回、たぶんこの記事を書いたせいだと思うのですが
われながら単純というか、空の写真ばかり撮っていました。