わ、また今の時点で写真がアップできないようです。
エキサイトブログ、うーん、いまひとつ脆弱だ・・・。
ということで今日はアップ予定の花の写真をひとまずおいて
昨日の雑文の続きを。
その、指が使えなくなっちゃったという愚痴話を
友人にしていたところ、
そこから体の調子の話になって
年齢の話になって、
厄年の話にもなりました。
その友人は学生時代からの気の置けない間柄なので、
「うーん厄年なんてあんまり気にしないほうが
いいんじゃないかなあ」と
思わず言い切ってしまいました。
えーと、たとえば、後から振り返って
「あの時は厄年だったから」とそれで
ひとつのけじめをつけるように思えるのだったら、
その概念は意味があると思うのです。
でも、「今年は、来年は、厄年だから」ということで
不安に思うのは、心配をするのは、
それはとても、しごく当然のことではあると思うのですけれど、
その一方でなんだか傲慢というか、不遜な気もします。
今ここに自分の自由になる身体があって、
自分で自由になる時間があって、
とりあえず食べる心配も住む心配もしないですむのに、
今日という一日を、やってくる一年を
「厄だから」どうだこうだというのは
なんだかなあ、ちょっとあつかましいような気もします。
でもこれは私が尊敬している
ある方の受け売りです。
自分でもそう言い聞かせているというのが
ほんとは正直なところかもしれません。
こういう概念というのは、結局のところ、
自分にとってそれが役にたつか、
ほんとに力になるかどうか、という気がします。
厄年でなくても血液とか星座とか、
今はいろんな占いがありますが
力になるのならぜひ役立てたらいいし、
ならないのならやめたほうがいいと思っています。
その中で、ひとつだけ、私が唯一力にしている占いがあるのですが、
それはそれで長くなるので
またの機会にゆっくり書きたいと思います。
今日はこれにて・・・
追伸1
指の話ではみなさまに余計なご心配をおかけしました、
でも嬉しかったです、ありがとうございました。
追伸2
2月末日、ブログ記事に空白がありますが
これについてはまた書きます!
