先日、師匠である鈴木ひろ子先生にお会いしたところ
「西武の花展、見に行ったよ。よかったよ」。
という感想を。
わー・・・・・・・。
よかった。
本当に見に行ってもらえるとも思っていなかったのに
お褒めの言葉を頂けるとは予想外で、
なんだかこれで本当に西武の花ウエディング展が終わった気持ちになりました。
「色あいも、あなたらしかった。
ブーケがちゃんと、手跡(て;技術)に支えられてる感じだった」
わーい。(笑)
最初にお会いしたのは、かれこれ10年前。
「10年後までに、この花の仕事で
一人で食べていけるようになりたいと思います」、
そのとき、そう言ったことはとても鮮明な記憶ながら
あれから10年も経とうとしているとはちょっと信じがたいというか
いえ、信じたくないキモチです。
それ以来ずっと、和の花の投げ入れを教わっていますが
それはちっとはうまくなったか?というと
それはちっとはうまくなっただろう、とは
思うのですけれど、
こ れ が ねー ・・・やればやるほど難しい。
2時間も3時間も、ひとつの花を見て
ただ息をつめるように見続けて、しまいには吐き気がするほど。
それなのに結局ひとつの花も仕上げることができない、
という日もよくあります。
そんな日はこんなに忙しい中をやりくりしてるのに、
何やってんだ私という深い後悔と情けなさと自分への失望、
これは、ゼッタイ、趣味ではないです。
修行に近いです。
かつ、私が今やっているウェディングの花の仕事に
何か役にたつかというか、これは金輪際、
これっぽっちも役にたたない。(そこまで言うか)
でも、こういう花が在る、ということを知っていて、
こういう花のあしらいを教わっている、
ちゃんと花代と授業料を支払って学んでいる、
何年も続けている、
どんなに忙しかろうと毎月この時間だけは削らずに、
必死にやりくりして
勉強している。
その事実が、
結局、自分の今の仕事を側面から支えているような気がします。
直接はなんの役にもたたなくても、
自分が学ぶことに時間とお金とエネルギーという
代償を支払っている、
その事実が、目に見えないところで自分の仕事を裏打ちしている。
以前なにかのネット記事で読んだことですが、
一見無駄に思える知識が両脇に多くあることが
結局、歩く道の幅を広げている。
細ければ一歩ずつが危ういが、
道幅が広ければ安心して歩くことができる。
と、信じているというか、言い聞かせています。・・・はい。
あけび、二輪草、苧環(おだまき)。
同じ組み合わせで生けた別の花。
こちらは去年の花で、雪柳、それにバイモユリ。
バイモユリのほうは、エミール・ガレの器が頭に浮かんで、
今まさに咲こうとする花、そして開ききって終わっていく花、
その両方を生けたかったんです。
なげいれとしてはやや、しゃれすぎなのかもしれません、
でも師匠いわく、
「100人見て100人がそうとは思わないかもしれないけど
101人目が、あ、ガレみたい、と思うかもしれない。
その101人目に会うために生けているのかもしれないね」。
今回の苧環の花を生けながら浮かんだのは、
しづやしづ 賎(しづ)のおだまき 繰り返し
昔を今に なすよしもがな
静御前
より詳細におだまきを知りたい方は、こちらへ
うーん。でもこうしたなげいれと
今の仕事の花はまったくの別物ではあるのですけれど、
でも単純に和の花は、個人的に大好きです。
おだまきも、くちなしも、桜も、なにもかも、
和の花はとても好きです。
やっぱり日本に生まれてデザイナーでよかった、と思う。
(てか、そういいきるとアホっぽいですが)
一度、和花のウエディング、やってみたいです。
そんな新婦様がいらっしゃったら、是非一会にご紹介ください。(笑)



