今、この記事を書いていて
左手上側を見上げると、この写真と同じです。
今キーを叩いているこのPCをおいている席に戻るたびに、
見なくても、くちなしの香りがします。

今日休み明けのアシスタントさんがやってきて
仕事は相変わらず雑用ふくめ山積み、
明日はたくさん花を入荷するし今日中に片付けなくてはならないことは、
あれを頼んでその隙にこれを仕込んで、
とかとかとか、せっせと段取りを考えているところ、
「あれ、ここにあるクチナシって何に使うんですか?」

適当に返事して流すこともできたのに
虚をつかれて、思わず、
「・・・私の為です」と、白状してしまいました。

花を仕事にしてから、
花をもらうことはなく、
自分のためだけに花を買って飾ることも決意が要って、
でもこの時期、ついこの花だけは毎回必ず
いつも迷って、それから買います。
安い花なのですけど、でも自分のためにというと逡巡します。

なんでくちなしなんですか?と聞かれて
すると、返答に困る。

香りがいいから。

この時期にしか出ないから。

花がもたないから。

たぶん一番の理由は最後のひとつで、
「刹那」、でいいな、と思うんです。
私はたぶん「永久に変わらないもの」、が、結構苦手で、
だから、造花ではなく生花の仕事をしているのだと思います。

結局のところ、すべては
今の一瞬だけなのかもしれないと思います。
結局、「幸せである」という概念も、
どこかに「幸せである」というエリアが在って
そこにいつか、たどりつくというものではなくて、
たった一瞬で通り過ぎる
「瞬間最大風速」みたいなもんかもしれない、と思ったりします。

しかしもう6月。
瞬間風速とか言っている場合じゃないような・・・