写真は、アレンジコースの生徒さんのひとりの作品。
一会のレッスンは現在ウェディングコースと
アレンジコースとがあって、月に6回くらい開催する
そのうち1クラスだけがアレンジコースです。
たいていは「ミステリーツアー」です。
参加してからはじめてその日の演目が分かります。
開催は月曜日で、その月曜の朝に
私が市場をほっつき歩いて、
その日一番いい、心に響く、という花を選んで
課題が決まるのは夕方ということもよくあります。
少人数ですが、8割がたが「一会の元新婦様」
というのも、
私がちょっと自慢したいことのひとつです。
新婦様からいただける、
それ以上の大肯定はない、と思うので。
ばかげた話ではありますが、それを思うたびに
本当に胸がつまります。
ありがとうございます。
・・・、話をまとめるな。
チューリップは、春しか出まわらない、
そういうところがいいなと思います。
チューリップ、好きだなあと今日、
レッスンでまた思いました。
この時期は春の花もたくさん出てきて
楽しい。
このブログで何度も書いていますけれど、
何度でも書いてしまう、
チューリップって、好きだなあ。
朝になると伸びるし、
温かいところではぱかっと開くし、
油断すると光に向かって勝手に曲がるし、
スポンジには挿しづらいし、
ほんとに、始末に負えない花です。
なのに、なんで愛おしいと思うんだろう?
毎年、冬からだんだんと春になるひとときは
楽しさと憂鬱が拮抗します。
私自身は冬が結構好きなので、
春の温かさ、そのぬるさが、
億劫なときもまれにあります。
そういうのもひっくるめて
春もチューリップも好きだと思う。
今日のタイトルは、最近聞いた英語で、
つまり、しかたないという言葉らしいですが、
あーいい言葉だな。と思いました。
仕方ないという日常ばかりでも、
たまに出くわす、「共鳴すると楽しい」こと。
たとえば私は音楽にはうといですけれど、
以前に一度、「チャラさんの音楽をテーマに」
装花を請けおったことがあってから、
たまにその代表曲をネットで聞いてみたりします。
あるいは、「アニメの1シーンと、
過去岩橋が作ったブーケが、シンクロした」、
という一言を聞いて以来、
そのアニメにちょっと特別な思いを抱いたりします。
その時のお二人には結婚式は
たぶん通過点のひとつで
もう一会という花屋それ自体も過去のことかもしれません。
結婚式という演出のひとつを
大金で支払っていただくひとつの業者として
それで十分だと思うんです。
あなたの仕事は不十分だった、
率直にいって払う気にはなれない。
と言われることもあり得るので、それを
考えれば十分だと思う。
でも私は勝手に新郎新婦様に共鳴して、
そうして、過去になっても
少し、今の自分を形作ってもらう。
それは1年のうちにチューリップが咲くこの時期だけ
思い出してその開き具合を愛でるのと
たぶん同じです。
毎回同じことかもしれないけれど、
そのときの存在の確かさ。
でもそれ以上に、何か望むことはない
のかもしれません。
充分でした。
自分には。
メイバンファ、
8か月も上海にいたのに
自分が覚えている、きわめて数少ない
中国語のひとつ。
きっと音感あるいは語学センスのある人なら
もっとちゃんと覚えたと思う。
「仕方がない」。
「仕方がない」と処して目をつぶって
この一日を過ごしていくことは、たぶん
たくさんあります。
でも
共鳴する、という言葉もまた
他方にあります。
では皆様、今日もお疲れ様でした。


