昔のことですが、聞いてからずっと
忘れられない話があります。
ある人と、その地域の花屋さんの話を話していて
「へえ、そんなところに、そんな花屋さんありましたっけ?」
と尋ねる私に、
相手はちょっと目をきらきらとさせて、声をひそめて、
「それがね、その花屋のおじさん、もう、おかしいのよ」
といいます。
「おかしいの、ほんとなのよ、
腐った花を並べて売ってるの」
いつもなら、愛想や追従やあるいは少しの面倒で、
適当に相槌をうって流しただろうに、
そのときは、笑えなかった。
とても笑える話ではなかった。
それはひとごとには思えなかった。
雨の日ばかりが続いていたのに、
突然に、まるでうそのように
日の照り返しはじめるこの季節は、
気を抜くと、とたんに水が濁りだします。
茎がぬるぬるするのに気づいて
あわてて流水で洗い流します。
そうして、洗いながら、自分もまた
腐った花を売るようになるのではと
どこかでじっとおびえています。
ほかにはたいしてできることはないので、
それが、ただひとつのよすがのようにして、
腐っていても、
もう花を売るしかできなくなるのではないか。
と。
・・・暗いっす。
「つか、ネクラって死語じゃね?」という
若者からの突っ込みは
だから、こんりんざい、受付けません。
(しかし「金輪際」も死語っぽい。)
でもいつか、
いろんなことがついにダメになってしまっても
とうとう気が狂っても、
そこで最後にまた
花を並べるという行為に戻るのなら、
それは、やや、眩しい気がするのでした。
では皆様今日もお疲れ様でした。
・・・した!

