写真は、去年の冬、フィレンツェの・・・・
どこだったっけ。ごめんなさい名前を忘れました。
どこに行こうと温泉地でも観光名所でも何日も泊まったホテルでも
帰ってきたらきれいさっぱり忘れている、
このトリアタマ!とののしって許してくださいましたら、と思います。

お打合せをしていると、突然
「そう、そうなんですよ!」
と深くうなづいて、そうして
「会場の花屋さんにそう話したのだけれど
なかなかぴんとこなくて」。
花嫁様が、そう、ぽつりと言います。

デザインって、難しいなあと
やっと最近、思います。
一会設立12年目。
気付くのが遅い。

しかしこういうのって、感覚の問題で、
どんなに言葉を尽くしてもなかなか解ることではない。

 伝わらないなあ、なんか不安だなあと思って、そうして
 ネットで探したら一会さんを見つけてしまって。

そう新婦様の語るぽつぽつとしたお話をじっと聞いて
それってこういうことですか?と確認しながら
核となるものを取り出して、踏み固め、
その核となる部分を今度は自分の絵筆である花を用いて、
ひとつの形にする。

そういう毎週、
しかしたとえ自分の手の中に、その核がつかめていても
絵具となる花がその日、そろわなかったら絵にならない。

なんかあとひとつ、何かわからないけれども
最後のパズルの一片を
市場でずーっと探し続けて、
端から端まで壁を全部たたく。
狂ったようにたたいていると
突然、その一角がくずれ
向こう側からどっと光があふれる。

「窓」は、いつもそんな感じです。

見つからなくて妥協するときもあります。

それでもやっぱり諦めなきれなくて、
最後までぐずぐず壁をたたいている、
そういうときもやっぱりあります。

必死にたたいているのが、窓なのか壁なのかは
その時にはわかりません。
かぱっと開いた瞬間にやっとはじめて窓だと解る。

いつか、窓が開くと思って、なんもない壁をたたくこと。

たたいて窓じゃなくっても、腐らずに、叩き続けること。

しいていえばそれだけが、
自分にできる唯一だろうと思います。
ひたすら壁をたたくことなら
いつでも、今でも、自分でもできる。

では皆様今日もお疲れ様でした。

今日最後にメールをくださった方へ、
頑張っているところへ頑張れとは言い難いですが
けれども、どうぞお体に気を付けて。

今日、東京は大雨。
皆様もお体ご自愛ください。